第一回 表現を支える学問と学問を支える人間性

2020年の東京オリンピック開催が決まった年に、”衣服解剖学・はみだし版”というタイトルで、人体と衣服の ”姿 かたち・しかけ しくみ” についてを連載することとなりました。
このシリーズを監修されるのは、『衣服解剖学』の著者である中澤愈先生です。先生が女子美術短期大学の専攻科で衣服解剖学の講師をされていた時、私はその中の学生の一人でした。卒業後は仕事をご一緒させていただくご縁に恵まれました。先生は、授業や著書の内容以外にも専門的な知識と経験を豊富にお持ちで、”昭和、平成の怪物”という表現を使いたくなる方です。中澤先生の高機能ウエアを着たアスリートたちが、オリンピックで金メダルを獲得した数は百を超えました。そのベースとなったのは、人体美学、人体解剖です。人の皮膚には衣服のような接ぎめや継ぎめはありません。その体表に衣服の構造線である、肩線や脇線を入れて、実際に皮膚を剥がし、解剖をされました。複雑な形をした体を、剥がしたり覆ったりするのに衣服の構造線は効果的であったばかりでなく、そこから動きやすい衣服構造線を導き出されたのです。怪物の所以はその話だけでも十分ではないでしょうか。そんな中澤先生には今なお敬愛してやまないお二人の恩師がいらっしゃいます。

はじめに、中澤先生と二人の恩師について、お話したいと思います。





親子以上の師弟関係、西田正秋教授

この夏、中澤先生が大好きなアニメーション作家、宮﨑駿監督の最新作、「風立ちぬ」が話題となりました。主人公の堀越次郎はかのゼロ戦の設計者。中澤先生は特攻隊員でしたが、幸いにもゼロ戦での出撃はなく、終戦となりました。戦争が終わったと聞いたのは16才の時。体の奥から深い安堵感がこみあげたそうです。

戦後、先生は銀座テーラー山形屋に入って、裁断師としての腕を磨くこととなります。両手に鋏を持って、型紙も使わずに布を裁断できるほどの腕前になった頃、一人の指揮者が燕尾服を先生に注文したそうです。ところが、仕上がったスーツにこの指揮者がクレームをつけてきました。「このスーツを着てタクトを挙げると、袖がつっぱってとても疲れる」。服を作ったことのある人ならば、着用して疲れる、と言われれば穏やかではいられません。衣服に携わっていくのであれば、人体を知らなければいけない、と痛感し、東京芸術大学の門を叩き、そこで出会ったのが人体美学を教えられていた西田正秋先生です。

当時、芸大の構内には戦時中に銃器庫として使っていた倉庫がありました。西田教授はその外壁を鉄骨で補強し、当時は木で出来ていたりんご箱を重ねて本棚にし、2万冊の本に囲まれながら寝泊まりしていたそうです。週末に一回帰宅して、一週間分の下着を持参してすぐに大学に戻られるという生活は、まさに芸大の仙人です。中澤先生は大学の授業以外にもマンツーマンで人体美学の講義を受けられていました。時にはその倉庫のような西田研究室で、明け方の4時頃まで授業が白熱したそうです。その人体美学、美術解剖学の内容は中澤先生の著書『衣服解剖学』の伏線ともなり、さらに今回の”はみだし版”でも”動物美学”などいくつか取りあげさせていただきます。

中澤先生は31歳でご結婚されました。芸大で助手をされていた頃です。当然結婚式には西田教授も出席されます。ところが西田先生はいつもいつも黒ずくめのスーツとシャツ、ネクタイを締めていたので、お祝いの席での服装を気にされたそうです。そこで週末に自宅に帰った時にスーツをモーニングに替え、翌週の月曜からはずっとモーニング姿で授業をして、木曜日の中澤先生の結婚式に出席されたそうです。
西田先生と中澤先生とは親子以上の師弟関係だったのかもしれません。

人体解剖から見えてくる衣服構造線

ある日、西田教授のもとに、コートを作ってくれる人はいないかという問い合わせがありました。中澤先生のもう一人の恩師、東京医科歯科大学の三木成夫助教授からです。もちろん中澤先生が仕立てることとなりました。浅葱色の美しいホームスパンの生地だったそうです。三木先生の前、横、後ろの写真を撮り、採寸をしながら解剖学の話をしたのが一つのきっかけとなり、中澤先生は東京医科歯科大学の研修生として解剖学、形態学を三木先生から学ばれます。

三木先生のお人柄は、著書の『生命形態学序説』、『内臓とこころ』や『胎児の世界』から垣間見られる気がします。解剖学をべースに宇宙のリズムや宗教、心理学の解説をさらりとされるのです。

三木先生が東大の助手だった頃、趣味のバイオリンを習われたそうですが、始めて3年たったある日、師匠に呼び出され、「関西なまりのバイオリンはそろそろやめにしないか」と言われ、弦を折って二度と弾くことはなかったという伝説があります。しかし、造形的な感性はやはり一流のものでした。中澤先生が皮神経の支配領域を書き込んだ人体図を三木先生がご覧になった時、「この皮神経の支配領域の線はなんだか服の線に似ていないか」と言われたそうです。人体解剖にのめり込んでいた中澤先生にとっては、目の覚めるような事、発見でした。人体の皮神経が通っていない部分を線で結んでいくと、洋服のプリンセスライン(構造線)に似てくるのです。しかも、その線を利用し展開していけば高機能ウエアができるのです。


プリンセスラインとはヨーロッパのゴシック期に考案された洋服のカッティング方法で、現在も多くの衣服デザインに取り入れられる構造線です。その線が、実は人体のしくみと深い関わりがあったのです。

また、機能ウエアの原型となる”動体原型”というのも三木先生の形態学、原型論からの影響が大きいそうです。

「風立ちぬ」の最後に、敗戦の焼け跡に立つ堀越次郎が、無敵のはずのゼロ戦が一機も日本に戻らなかった現実に立ちすくむシーンがあります。しかし、そこにもまた、新しい風は立ちあがります。東京芸術大学で人体美学を創設された西田先生も、本の出版のために戦前から蒐集されていた資料を戦災で一夜にして消失するという悲運に遭われます。戦後、再び「乞食のようになって」資料とノートの回復に努められ、その流れが中澤先生に受け継がれ、三木先生の人体解剖学、形態学と合流して、高機能ウエアに表現されています。



「衣服解剖学・はみ出し版」では、この流れを基調にしてより具体的に衣服と人体の”美と機能”、”姿 かたち ・しかけ しくみ” を中澤先生に解説していただくものです。「衣服解剖学」には書かれなかった、裏技や裏話も出てくる予定です。
そうやって、中澤先生の理論を広くお伝えすることが、三木流に言えば、宇宙のリズム、波動にあった事に思えるのです。