第二回 人間の皮膚から導き出した裁断法

“第二の皮膚”という言葉をよく耳にします。人間の皮膚と似た動きをする機能ウエアの打ち出し文句として使われているようです。しかし、実際の皮膚のかたち、構造、動きを正確に把握して、それをパターンに生かしたウエアは少ないのが実情です。体が動く時、皮膚はどのように変化をするのか、そして、それをどのようにウエアに生かすのか。機能系パンツの一例として、レスリングウエア(シングレット)を取り上げて探ってみます。

体をしめつけない、ゆとりゼロのウエア

図1は、2004年アテネオリンピックのために開発した、レスリング日本選手代表の試合用ウエアのデザイン画です。アテネに続く北京、ロンドンオリンピック、そして現在も着用されています。このレスリングウエア開発にあたっては、もちろん競技に関する資料をあたったり、従来のウエアの欠点を洗い出すために、レスラーへの聞き取り調査もおこないました。その中で最も問題だったのが、立っているときれいに体におさまっているウエアでも、ひとたび競技を始めるとパンツの裾がまくれ上がって着くずれをすることでした。原因は伸縮するニット素材の機能に依存しすぎていたことです。伸びる素材だから、ひっぱりながら体に合わせて作る。着用時には多少の圧迫感があり、体が引き締まった感じがする。しかし、それが着くずれの原因でした。問題の解消法はちょっと考えられないようですが、素材に無理なテンションを与えないで、きつくもゆるくもない自然な状態で着せる、という事。そこにレスリング競技に必要な運動量を入れればいいのです。
動きをパターン化してウエアにするには、もちろん素材も考慮しますが、最も重要なのが皮膚の動き、伸展と移動です。股関節の前後、左右、上下の自在な動きに皮膚はどう追従するのか。そこを明確にして表現をしたのが、このレスリングウエアです。


直線的な股ぐりと運動量を決定する殿溝のしわ

体を覆う皮膚には接ぎ線や継ぎ目のような境はありません。その皮膚をなるべく無理なく平面化するために、衣服構造線(ウエストライン、脇線、股下線)と前後中心線とを区画とするパンツの構造線で皮膚を剥がしたのが図2です。皮膚はゴムのように伸び縮みするものではなく、半柔軟状態で、殿溝(でんこう)を除く他の部分は無理なくほぼ平面化することができます 。
この皮膚のかたちの大きな特徴の一つは、後ろ中心の股ぐり線が直線だということです。一般的なスラックスの後股ぐり線(図3)と比較すれば違いは歴然としています。そして、さらに注目したいもう一つの特徴は、殿溝に集まっているしわです。図4は皮膚のしわの流れを描き出したものです。殿溝部分は3方向のしわが重なっています。 皮膚には見て確認できるしわと、顕微鏡を使わないと確認できない細かなしわがあります。皮膚はそのしわに対して直角方向に伸展します。つまり殿溝にある三つどもえのしわは3方向への進展を可能にしているのです。





さらに殿溝の下には脂肪が集まる充填脂肪層があるため、皮膚の大きな移動を可能にしています。レスリングの動きに必要な脚の開脚、前後に開く交叉、そして、股関節の前屈の3方向への運動すべてを上回って満たすためには、この殿溝の運動量をパターンに移行する必要がありました。

機能を入れるための切り替え線

衣服を立体的にするには、構造線(切り替え線)を入れる、あるいはダーツをとる、といった方法があります。レスリングウエアのように伸縮性のあるストレッチ素材を使う場合は、構造線を入れるのが一般的です。そしてそこに機能を持たせようとすると、構造線の位置が重要なポイントとなります。
体表を覆う一続きの皮膚には目にみえるような境目はありません。しかし、形態学の視野に立つ解剖学から見ると、脊髄神経の抹消支配によるテリトリーが皮節(Dermatome)として認められ、分節線・分界線・軸線で相互間の境界を作ります。図5は腰神経叢L3と仙骨神経叢S1の境界をなす後肢軸線が、U字型に下降している状態を示したものです。この軸線は、ヒップの高い位置を通過し、殿溝はこの軸線より内側に含まれます。図6は、後肢軸線を皮膚の上に書き入れたものとそのイラスト画です。軸線より外側(脇側)は比較的平面におさまっています。図7は殿溝のしわを外側に移動させ、軸線より内側の殿溝を平面化したものとそのイラスト画です。移動の結果、軸線の下が外側にカーブしています。これがパターンに機能を持たせる重要な形です。



素材の伸縮性に安易に依存しないパターン

殿溝と後肢軸線が交わるあたりを基点に、運動量のためのゆとりが、外側(脇側)に移動したり、股下側に移動したりします。図8は図7のイラストを整理して実用可能なパンツパターンにしたものです。

冒頭の図1のレスリングウエアは、後肢軸線(後切り替え線)をUカーブにせずに、後中心ウエストに向かって直線的に交叉させるデザイン線(赤)としました。
制作にあたっては、まず±0のゆとりでフィットするパンツをきちんと作ること。そこに機能的に有効な切り替え線を入れて殿溝の運動量を展開します。ゆとり0なので、素材はストレッチ性のニットが最適です。しかし、素材の伸縮性に安易に依存するのではなく、ストレッチ素材だからこそ筋機能や皮膚感覚に合わせ、締めるところは締め、緩めるところは緩めるといった使い分けが必要です。また、ゆとりのある布帛パンツを作る時は、機能の原理は同じであっても、運動量の入れ方や、股ぐり線に調整が必要となります。
このレスリングウエアは国内ばかりでなく、海外の多くの選手にも着用されています。 競技をして、裾がまくれ上がり着くずれをする、といったクレームはなく、10年近くはき続けられています。