第五回 根となる、顔の表情、手の表情

人の体を観察する時に、よく頭身示数というのを使います。欧米人は8頭身だとか、日本人は7頭身だとかと、頭を基準に体のバランスを見ていきます。一方、古代エジプトでは手を基準としていました。顔を含む頭と手、一見、衣服との関わりは薄いようですが、人の”なりたち”を見ていくと、衣服にとってもかけがえのない大切な部分であることがわかります。

自然のリズムと共鳴する内臓筋

上の絵は、健やかに眠る少女の顔と、日々の労働で酷使してきたかのような大人の手を見事に対比させたデッサンです。眠る少女は、学校の宿題からも家の手伝いからも解放されて、何か夢を見ているのかもしれません。一方、大人は今日の仕事、パンの事を思い、そっと少女の顔に手を寄せているかのようです。この絵のように、顔と手ほど豊かに人の内面や生活を浮かび上がらせる部分は他にありません。

図1は、人の”いとなみ”がなぜ顔と手の表情となって現れるのかを、模式図としたものです。


私たちの体は、大きく2つの機能に分かれます。植物性器官と動物性器官です。

植物性器官とは自らを養い、成長させ、子孫を残す「栄養-生殖」の機能を持ち、生命の維持と繁栄をつかさどります。

植物は大地に根をおろし、天に向かって葉を茂らせながら、”食と性”の営みを続けます。太陽光線を利用して、無機物から有機物を作り出す光合成という能力のおかげで、感覚や意識を持たずに、千年以上も生きることがあります。それは天体の動き、母なる自然のリズム、昼と夜、春夏秋冬などと軌を一にして、あたかも植物が自然そのものであるかのように存在しています。

私たちの体ではいわゆる内臓が植物性器官で、それは、胃や腸などの消化・吸収系、心臓・血管などの循環系、腎臓などの排出系、及び生殖に関わる器官で、収縮反応が鈍い内臓筋で構成されています。自然と一体となる植物に由来する器官なので、宇宙のリズムや波のリズムなどと無縁ではないでしょう。「春のめざめ」「食欲の秋」といったように、無意識のうちに人が自然のリズムにとりこまれるのは、この植物性器官が、時空を超える何かとつながっているからかもしれません(遠観得)。
そして、顔の表情を作る表情筋とは、この胃や腸の内臓筋がはみ出して露出したものです。

「腹の底から笑う」、「腹ワタが煮えくりかえる」、「ストレスでどうにもならない」といった時、顔の表情は正直です。作り笑いをしてもすぐにわかります。デッサンの無垢で健やかな少女の表情からは、穏やかな呼吸や内臓の動きも感じられます。


捕食のための骨格筋

一方で、動物は、植物と違って光合成の能力を持ちません。ですから植物性器官だけでは不十分で、栄養を取り入れるために植物や他の動物を食べて生きなければなりません。そのために、匂いをかぎ、色や形を見分け、食物を捜して動きまわるという、植物にはない「運動-感覚」の機能が必要となります。これが動物性器官で、収縮反応が早い骨格筋が、歩いたり走ったり、敵から身を守ったりと、身近な刺激、目先の出来事に対処します(近観得)。具体的には、眼や耳、鼻、舌、皮膚といった五感をつかさどる感覚系器官、骨格や筋肉などの運動系器官、そして、感覚を運動系器官に伝達する神経や脳などの神経系の器官のことです。内臓を包むように配置されるので、体壁系の器官ともいわれています。

「針に糸を通す」「はしを使う」「100分の1ミリの違いを指先で感じとる」といった手の働きは感覚器官と運動器官を研ぎ澄ませ、正確な神経伝達の上になしうるものです。手にはそういった「感覚・伝達・運動」の機能が体のどの部分より、敏感に顕著に表現されるのです。


象徴としての顔と手を引き立たせる

顔と手は、その成り立ちから、顔は植物性器官の象徴、手は動物性器官の象徴といえます。頭身示数などの体のバランスを見るのに、顔を含む頭と手を使うのには、そういった隠れた意味合いもあるようです。

衣服では、顔うつりの良い色を選んだり、衿の高さや形、首への沿い方など、様々なデザインバリエーションで大切な顔を縁取ります。カフスなどの装飾もまた、手の表情をひきたて、ネックレスやイヤリング、ブレスレットや指輪といった装飾品もまた、同じ意味合いを持ちます。




モノを作る時、時代の流れや流行のサイクルを感じとるのは植物性器官が主体で、それを具体的にかたちにしていくのは動物性器官が主に機能しているともいえます。 時には、自身の顔の表情や手の表情、植物性器官と動物性器官のバランスを意識するのもいいかもしれません。